国の指定技法とされた手くくりの絣技法、
草木染、手投げ杼の手織技法などの数少ない伝承者
松本紬(信州紬)染織作家武井豊子についての注。
信州紬が国の伝統的工芸品の指定を受けたのは昭和50年のことで、全国紬産地の指定申請の内で結城紬等に先駆けての第一次指定であった。信州紬は県内全域で生産される紬の総称で、松本紬もその一翼を担っている。他の産地と根本的に異なることは、分業体制でなく全行程を各工房が自力で完成品にすることである。信州紬の国による指定技法では、たて糸は絹糸又は天蚕糸又は真綿から紡いだ紬糸を用い、よこ糸は紬糸を使うよう指定されている。
武井豊子は、それらの糸を100%の草木染材を使って染めるという、信州紬の中でも特色のある作品作りをしている。松本は草木染材が豊富で、色々の山草から温かく和らかい武井豊子独自の色を引き出すことに成功している。ここで、糸について少し詳しく述べてみたい。
たて糸に使われる絹糸には実に多種類の糸がある。それらは蚕品種の特性の違いによるものである。繭糸(繭から引き出す糸)繊度は細いほど良い糸ができる訳で本来織物に使われる絹糸とはその細い繭糸が40~50本集まって一本の糸となり、練り上がった糸には光沢と嵩と柔らかさがある。ところが、昭和中期から機械化が進むに連れて多絛機又は座繰機に代わる自動繰糸機が普及し大量生産のために使いやすい繭糸繊度の太い蚕種を用いる事となり、一見節がなく太さが均一で良い糸のように見えても実は硬くてふくらみが無いという糸が全国的に生産されるようになってしまった。しかし最近になって絹本来の良さを取り戻すため再び細い繭糸のとれる蚕品種が一部で復活しつつある。また、よこ糸となる紬糸は真綿から手で引き出され繭糸70~80本が交錯しつつ紡がれるから繊維構成が立体的で、これが紬の織り味を決める事になる。近年、紬糸の紡ぎ方が上達して細く節のない優良な紬糸ができるようになった。昔から作られていた所謂ざっくりした紬は、帯等には適しているが着物には殆ど使われなくなっている。
武井豊子はこのような現状の中、より良い糸を厳選し、軽くてしなやかな、そして着て丈夫な現代の紬織物、松本紬(信州紬)を追求している。武井豊子の草木染め手織り信州紬(松本紬)が、着物通の織り味のわかる人々に愛用され続けているのは、このように、流行に沿うものを職人的にこなすのではなく、人・伝統・創意・技術や材料などの調和を着物の本質に置き、葛・よもぎ・そよご・くぬぎなど、山野をかけずり廻りながらの染料集めをはじめ、図案、絣くくり、染色、織り、その他細かな作業まで全ての行程をひとりで行い、注文主ひとりひとりの要望に応じながら、あくまでも草木染めを中心とした着尺・帯の一品物にこだわり、松本紬(信州紬)の制作を続けている物作りの努力の成果であろう。
女史の益々のご研鑽を祈る。
元長野県繊維工業試験場長永井千治